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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第3節 女同士 [8]




「あ、あの」
 震えそうになる声を振り絞る。
「えっと、私、田代(たしろ)と言います」
「田代?」
「はい。あの、金本くんは、金本聡くんはいらっしゃいますか?」
 しばらくの沈黙の後、無表情な声が返ってくる。
「聡さまはまだ学校から帰って来てはいません。失礼ですが、どのようなご用件で?」
「あの、私は、金本くんと小学校の時に」
 そこまで言って、言葉を切った。
 そうか、この時間だったら、金本くんはまだ駅舎にいるのか。
 駅舎で、美鶴と一緒に。
 熱いものが胸に込み上げる。
「あの、田代、さん?」
 インターホンの声にハッと顔をあげ、出直そうかと口を開いた時だった。
「どちら様?」
 突然の声に驚いて振り返る。中年の女性だった。化粧っ気はないが、清楚な感じで好感が持てる。
「あ、あの」
 インターホンも気にしながら、だが背後の女性も気にはなる。
 どちら様? と尋ねてくるということは、この家の女性という事だろうか? まさか金本くんの家、二人も使用人を雇っているとか?
「どちら様です?」
 訝しげに首を傾げる相手に、里奈は慌てて頭を下げる。
「あの、私、田代と言います」
「田代? ひょっとして緩か聡のお友達?」
「お、お友達と言うか、私は金本くんと小学校が同じで、でも今は違って」
 お友達って、そうか、見た目は高校生だからそう思われてもおかしくはない。
 って、緩か聡?
 ふと顔を上げると、目が合った。
「田代?」
 女性は小首を傾げ、しばらく考え込むようにじっと里奈を見つめた。その、少し不躾とも思える視線に居心地の悪さを感じ、思わず目を反らしてしまう。それと同時だった。
「ひょっとして、あなた、田代里奈さん?」
 少し乗り出すような仕草を見せる相手に、里奈は思わず一歩下がってしまった。



 里奈は学年でも有名人だった。その容姿から男子児童に人気があるのは当然だったが、周囲と比べると裕福で成績優秀という事に加えてテニスの腕前も評判だった。美鶴と仲が良く、ごくたまにだが美鶴の家へ遊びに行く事もあった。隣に住んでいた聡の母親が知っていても、不思議ではなかった。
「お久しぶりね。おばさんの事、わかる?」
「えっと」
「お話した事はほとんどなかったから、わからないわよね」
 聡の母親は、里奈を思い出すと途端に態度を軟化させた。まるで姪とでも再会したかのような喜びようで、快く家の中にまで招き入れてくれた。その態度に、里奈は正直面食らった。
 里奈は、聡の母親など知らない。記憶のどこを探してみても思い出せない。だが相手は、自分の事を知っているようだ。
 最初は腑に落ちなかったが、話を聞くうちに納得はできた。
「お父様はお元気? 確か銀行にお勤めでしたわよね?」
 なるほど、父の評判が保護者にも広がっていたのか。
「確かお若いのに役員になられたのよね?」
「よくご存じですね」
「お母様とは保護者会で何度かお話しましたから。とても気さくで明るいお母様でしたよね」
 ただの見栄っ張りなだけよ。
 父の出世を娘の学校で自慢する母の姿を想像し、うんざりした。里奈の家はそういう家だ。
「羨ましいわ。ご立派なお父様で」
「そうでもありません」
 和室に通され、畳の上で机を挟んで向かい合う。立派な家のようだ。聡の母は、確か税理士だか会計士だかと再婚したはずだ。
 娘や息子が唐渓に通っていてもおかしくはないという雰囲気だ。里奈も親に唐渓を勧められていた。ツバサから話も聞いているし、唐渓という学校がどういうところであるかは、少しではあるが理解はしている。
 里奈は、唐渓中学へは進学したくはなかった。無理を言って、美鶴と同じ学校へ進んだ。高校も唐渓を避けた。
「田代さんは、今はどちらに? 唐渓は受験されなかったんですよね?」
「はぁ」
「娘は唐渓を受験させるってお母様は言ってらしたから、てっきり受験するものだと思っていたんですよ」
 お母さん、そんな事まで言いふらしてたんだ。
 膝の上に置いた手を握り締める。
「今はどちらに? まだ岐阜に?」
「はい。えっと、岐阜の、公立に」
 咄嗟に答えた。公立高校へ進んだのは事実だ。今はもう中退してしまってはいるが。
「あら、公立高校なの」
「はい」
「何か目的でも?」
「えっと、近いし」
「そう」
 納得してはいないようだったが、聡の母はそれ以上追及はしてこなかった。
 どこの高校かなんて、そんなコト、どうでもいい事なんじゃないの?
 だが、あまり失礼な事は言えない。なんといっても相手は聡の母なのだから。
「今日は学校帰り?」
「あ、はい。学校が終わってから来ました」
「制服ではないのね」
 言われてハッと胸に手を当てる。
 濃灰のワンピースに桜色のカーディガン。とても学校帰りとは思えない。
 私服で通える学校なのだと答えようとしたが、学校名を聞かれると嘘がバレると思い、やめた。
「一度家に帰ったんです。家が近いので」
「そうなの」
 家が近いから公立高校、という理由が、こんなところで役に立った。
「でも、家へ寄って着替えてからこちらに来ただなんて、岐阜からは結構時間がかかるのに?」
 ホッと撫で下ろすはずだった胸がドキリと跳ねる。なんて鋭い質問。
 里奈は瞳を泳がせながらも必死に考える。
「あ、あの」
 落ち着いて。落ち着くのよ。
「あの、今は試験期間中で午前中で終わったので」
「試験?」
 相手が眉を潜める。
 しまった。こんな時期に試験なんてあるわけがないか。ど、どうしよう。
 焦る緩に向かって、相手が表情を緩める。
「受験のための統一模試かなにかかしら?」
「え? あ、は、はい」
「受験生だものねぇ。月に一度くらいは試験があって当然よね」
「そ、そうですね」
「そうよね。受験生なんだから試験や勉強で忙しくなるのは当たり前よね。なのにウチの聡ったら、ちっとも緊張感がなくってね」
 里奈の言葉を疑う事もなく話を進める相手。開けた窓から風が入り込む。シットリと濡れた首筋を撫でる。
 小さくホッと息を吐き、出された茶に手でも伸ばそうとした時、相手がふと口を閉じた。
「それで? 今日はどのようなご用件でしたかしら?」
 湯呑みを手にしながらかしこまった様子で尋ねてくる。本当はそれが聞きたくてウズウズしていただなんて態度は微塵も見せない。
「聡にご用だったのよね?」
「はい」
「ごめんなさいね。生憎とまだ帰ってきてなくって。まったく、何をやってるのかしら? とっくに学校は終わっているはずなのに」
 言いながら壁の時計を見上げる。
 母親は知らないのだろうか? 学校帰りは廃線になった路面電車の駅舎で過ごしているという事を。
「ちょっと携帯に電話でもしてみようかしら?」
 言って腰を浮かせる相手に、里奈は慌てる。
「あ、いいです。別に急な用事ってワケでもないですし」
「あら、でも悪いわ。せっかく岐阜から田代さんがいらしてくださったのに」
 言いながらさらに腰を浮かせる。
 ずいぶんと親切な対応だ。たとえ小学校の途中までを同じ学校で過ごしたとは言え、あまりよく知りもしない里奈を快く家へ招き入れ、茶を出し、聡を携帯で呼びつけようとまでしている。
 ひょっとして、誰に対してもこういう対応なのだろうか?







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